日豊日記:2017年11月

2017-11-04

阪堺電車の続き

先月のやり残しを片付けようと,再度阪堺電車に乗る。まずは我孫子道の車庫を見て,次に住吉鳥居前へ。住吉大社の参道にある橋は,反橋や太鼓橋と呼ばれているが,構造的にはアーチ橋ではなく桁橋なのね。

その次は天王寺に出て,地名の由来である四天王寺へ。四天王寺といえば裸祭りである「どやどや」が有名ではあるが,それは1月の話なので特に触れない。

日本橋まで歩いて部品を買って,恵美須町駅から船尾駅。徒歩で南海本線の諏訪ノ森駅から浜寺公園の中を抜け,高師浜線の高師浜駅へ。規模は小さいが諏訪ノ森駅と高師浜駅にはステンドグラスがあり,歴史を感じる。

南海では岸和田の蛸地蔵駅にもステンドグラスがあるそうだが,水間観音に行くことがあれば寄ってみようか。

2017-11-26

阪急2000系

今回,何で能勢電鉄に乗ろうと思ったのかといえば,実は山陽電車がきっかけである。23日に山陽3000系の3000編成が引退という話があったのだが,山陽3000系といえば山陽電車のボロい・遅い・高いというイメージの象徴もとい,1965年のローレル賞[1]受賞車両である。1965年のブルーリボン賞が0系新幹線なので相当に古い話なのだが,そのローレル賞を最初に受賞した車両はというと,1961年の阪急2000系・2300系になる。

1961年当時というとまだ京阪神急行電鉄の時代(阪急電鉄になったのは1973年)で,ブルーリボン賞がキハ81系(上野―青森の特急「はつかり」)というくらいに古いのだが,山陽3000系ですらまだ相当数が残っているので,当然ながらまたこれが能勢電鉄の1700系として残っている。

山陽3000系の場合は3000編成と3002編成にローレル賞のプレートがあったが,ほとんどの場合はトップナンバー編成に取り付ける場合が多いので,トップナンバー編成を探すことに。阪急2000系のトップナンバー編成は2050-2000-2051-2001の4両であるが,2050は1984年の六甲事故で廃車(2154を編入),2001は中間車化ののち阪急時代に廃車されているので,2000-2051の2両だけが能勢電鉄の1754編成(1754(2050)-1734(2000)-1784(2051)-1704(2014))に残っている。

運用も調べないで川西能勢口に来たが,数本待って1754編成に乗車。車庫のある平野で降りて,三ツ矢サイダー発祥の地を見学。ウィルキンソンも生瀬にルーツがあるそうだが,この辺りは炭酸泉が多いのか。死ぬほど情けない2000系のコンプレッサー作動音を録音して今日の取材は終わり。

[1] ローレル賞
鉄道友の会による鉄道車両の賞。
ブルーリボン賞(投票で決めるので,だいたいは特急車両が受賞する)があって,それとは別にローレル賞(主に技術的な面で決める)がある。
© Keisuke Uchida 2017
URI:https://www.conductorless.org/diary/2017/11
公開日時:2017-12-18T22:20:00+09:00